卒業おめでとうございます。

 何を話すかということですが、先ほど打ち合わせをしていたところ、「子どもと大人の違いの話」がよいのではないかという話になりました。理事長や学園長が同じような話をするのも少し変な感じがしますが、この時期には一番ふさわしい話題かなと思います。私も子どもと大人の話をします。

 さて、諸君らが今まで生きてきた十数年間を思い出してみてください。幼稚園や小学校の頃、自分が意識しておけばよかったのは、自分と両親と友達だったと思います。そこに学校の先生が加わります。
 これが高等学校になると、どう変わるでしょうか。今まで意識してきた自分、両親、友達に加えて、自分とは関係のない他人、つまり一般の人たちの存在を意識しながら生きていかなければならなくなります。自分が住む世界が広がるということです。世界が広がり、人のことを意識しなければならなくなる。そのときに必要になることは何かと言えば、自分のことを意識することです。自分が自分であること。自分がどういう人なのか。自分は何のために生きているのか。そういうことを、これからの高校時代には意識しなければならなくなります。

 ところで、話は少し変わりますが、人生には「四つの誕生日」があると言われています。四つの誕生日とは何でしょうか。少し考えてみてください。こういう質問をすると、一回目の誕生日は当然、生まれたとき。四回目はおそらく死ぬときだろう、と考えられるわけです。では二回目と三回目は何か。結婚したときとか、子どもが生まれたときとか、そういう答えが多いのです。実は、三十年ほど前、私が非常に信頼し、尊敬していた方が亡くなられました。その方のお葬式に行ったとき、そこでこんな話がありました。

 「人生には四つの誕生日がある」という話です。

 一回目は、生まれたとき。二回目は、自分に気がついたとき、自分に目覚めたとき。それが二回目の誕生だと言われていました。なるほどな、と私は思いました。 三回目の誕生は何か。須磨学園は無宗教の学校ですが、私は神はあると思っています。神の存在です。つまり、自分ではどうすることもできない、この社会、この世界、この地球、この宇宙を支配している法則のようなもの。そういうものの存在に気がついたとき、それが三回目の誕生日だというのです。そして、そういうことに気がついた人にとって、四回目は誕生日になります。しかし、そういうことに気づかないまま人生を終えてしまったら、四回目は誕生日ではなく、ただの滅びの日だ、という話でした。私は四十年近くたった今でも、その話をとても鮮明に覚えています。

 今ここに座っている八十人の中にも、すでに自分に気がついている人がいるかもしれません。そういう人は、もう大人です。しかし、まだ気がついていない人もいると思います。けれども、自分というものに対する気づき、自分はどうしているのか、自分という存在は何のために生きているのか。そういうことに目覚める日が、必ず高校時代のどこかでやってくると思います。

 私は、諸君一人ひとりが、自分に対する目覚めを迎えるその日を、高校時代にこの夙川で迎えることを心から願っています。頑張ってください。

 これでお話を終わります。

2026年3月14日 学園長 西 和彦