2017年5月16日(火)放送礼拝 メッセージ「最も大切なもの」

高等学校

中学校

5月16日(火)、放送礼拝が実施されました。

 
アリーナでの全校礼拝とはまた違って、
それぞれの教室でアットホームな雰囲気のなか、礼拝が守られます。


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マルコによる福音書8章34-36節 「最も大切なもの」
学院宗教主事 樋口進

 

あるアンケート調査で、「あなたにとって最も大切なものは何ですか」というのがありました。
皆さんは、どう答えるでしょうか。
その答えで一番多かったのは、「健康」と答えた人です。
わたしも、学校の健康診断でコレステロール値と血糖値が少し高いということで、食べるものとか運動に気をつけています。そうやって、テレビを見ますと、健康に関する番組が非常に多くあることに気付きました。
そして、この食べ物がいいとか、この運動がいいとかいうと、すぐ試したくなります。
やはりこのアンケートにあるように、多くの人は健康に気をつけているのだな、と思いました。
そして、先ほどのアンケートで次に多かった答えは、「毎日を平和に過ごす」というものです。
そして、次に「お金」でした。
健康で、毎日平和に過ごし、多少のお金があれば、言うことなし、ということでしょうか。
「健康であること」、そして「毎日平和に過ごす」こと、そしてお金は、それ自体としては決して間違ってはいないでしょう。
しかし、人間にとって、一番大切なものは、それだけでしょうか。
もっと大切なものはないでしょうか。

先ほどの聖書において、イエスは「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」と言われました。
この命と訳されている語は、ギリシア語ではプシュケーという語です。
これは、「命」とも「魂」とも訳せる語です。
これは、単に動物的に生きるという意味での生命ではありません。
もちろんそれも含みますが、命を与えて下さった神との関係における本来の人間の命です。
霊的な命と言ってもいいでしょう。

そして、聖書において、一番大切なのはこの命です。
聖書の理解によりますと、私たちはこの命を神から与えられたものです。
ですから私たちは、本来、命を与えてくださった神との関係において生きる者です。

健康ということは確かに大切でしょう。
わたし自身もそれを常に願っています。そしてそれなりに気をつけています。
食事に気をつけるとか、適度に運動をするとかです。
かし、命を与えて下さった神との関係を無視した生き方においては、自己中心的な健康の考え方になると思います。すなわち、自分さえ健康であればいいと考えてしまいます。
健康を害して苦しんでいる人の苦しみが見えません。
健康が一番幸福だとすると、病気の人は不幸ということになります。
しかし、たとえ健康を害していても、その魂(プシュケー)が生き生きとしている人もいます。

最近、日野原重明氏と星野富弘氏との対談が本になりました。
『たった一度の人生だから』というタイトルです。
この対談の中で、星野富弘さんは、「いのちというのは、自分だけのものじゃなくて、だれかのために使えてこそ、ほんとうのいのちではないかと思いました」と言っています。

また、「毎日を平和に過ごす」と言うことを最も大切に考えている人がいます。
確かにそれは大切なことですが、これも下手をすれば自己中心的な考えになります。
すなわち、自分が平和に過ごせたらそれでいい、ということです。
自分の家庭、自分の職場、あるいは自分の国が平和であればよい、という考えです。
他の国に戦争があっても、抑圧があっても、そういうことには関心がない、という態度です。
あるいは、お金や財産が一番大切だという考えも、往々にして自己中心的になりがちです。

イエスは、先ほどの36節で、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」と言われました。「全世界をもうける」とは、所有の極限でしょう。人間はあれも欲しい、これも欲しいと思うものです。そしてその最大のものを、全世界で表しているのです。
しかしイエスはここで、人は全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何もならない、と言われます。
人間はあらゆるものを手に入れることができたとしても、命を得ることはできません。
命は決して物によって交換できるものではありません。

エーリッヒ・フロムというユダヤ人の社会学者は、『生きるということ』という本を書きました。
この原書での題は、「持つことかあることか(to have or to be)」というものです。
彼は、この本の中で、現代社会においては、人間は「持つ」というあり方になっている、と言います。
そして、持つという場合、すべてを物に還元してしまい生きた関係を損なってしまっている、と言います。
それに対して、「ある」ということは、何も束縛されず、神から与えられた命、存在そのものを大切にする、と言います。
そして、他者との関係においては、与え、分かち合い、関心を共にする生きた関係となる、と言っています。このフロムの主張は、現代の物質文明を批判し、真の人間のあり方を追求しようとしたものです。

そして、私たちは、もう一歩進めて、真の人間のあり方は、私たちに命を与えて下さった神との関係に生きることだ、ということを考えたいと思います。
35節には、「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」とあります。自己中心的な生き方をする者は、結局命を失ってしまう、とイエスは言います。私たちに命を与えて下さった神との関係に生きるということが、本当の命を得ることだということを思い、この命を大切にしていきたいと思います。