2月8日(水) 全校礼拝

高等学校

中学校

2月8日(水)全校礼拝が実施されました。

 

 

聖書:マタイによる福音書6章1-4節
讃美歌:465番
「隠れたことを見られる神」

6章2節には、だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられ     ようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。とあります。当時のファリサイ派の人々は、大きな施しをする時、ラッパを吹き鳴らしていた、というのです。これはいささかオオバーかも知れません。いかにも今施しをしました、ということを人に見せるためです。そして人から、あの人はあんな沢山施しをしている、偉い人だ、とほめられるためでした。それに対してイエスは、3節において、
    施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
と言われました。これも非常にオーバーな表現ですが、善行は人に隠れてすべきだ、ということです。しかしそれは、隠れたことを見られる神にのみ見られており、神によって報いを受ける、というのです。  私は、学生の時代、多少苦学をしていました。本を買うお金がないので、アルバイトをしていました。しかし、それを知ったある人が、匿名で私への本代としてお金を送って下さいました。私は、それを月一回、受け取りました。ただし、送ってくれた人は、匿名であったためにだれかは分かりませんでした。それで、私はアルバイトをせずに本を買うことができました。当時のお金でかなりの額だったように思います。私は非常に助かり、もうアルバイトをせずに本を買うことができました。そのうち、その人が分かったらお礼を言いたいと思っていたのですが、未だにその匿名の人がだれかは分からないのです。その人は、きっとこのイエスの「右の手のすることを左の手に知らせてはならない」という言葉を忠実に守られたのではないかと思います。今の世の中、これとは逆のことが多いのではないでしょうか。コマーシャルの時代で、自分の徳をもテレビで宣伝している人もいます。それも、何倍にも増幅して宣伝しているのです。神にではなく、人にどう評価してもらうか、ということが横行しています。そこで、人にわからなければ善い行いをしないどころか、逆に不正なことをしています。そのような事件が頻発しているのではないでしょうか。最近は、企業でも官庁でも不正な事件が横行しています。世の中、実に人の目をいかにごまかして利益を得るか、ということに満ちているように思えます。しかし、人の目をごまかせたとしても、隠れたことを見られる神の目は決してごまかせないのです。人は表面的なことを見て評価しますが、しかし神はその表面から隠れた所を見られるのです。今日のテキストにおいて、最後は「そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる」という言葉で締めくくられています。神に対する畏れというものがほとんどありません。それゆえに、私達の心を痛める事件が次から次へと起こります。かつて、飲物や食べ物に毒物を混入させるという事件が頻発しました。犯人は何のためにそのようなことをしたのでしょうか。これも「隠れたことを見られる神」という信仰が全くない所から起こっているのではないでしょうか。しかし、人間の目には分からなくても、神の目にはすべてが分かっているのです。私達は、この畏れをもつ必要があります。私達は、隠れたことを見られる神への信仰を常にもち、この神が報いてくださるようにと日々の生活を歩みたいと思います。