全校礼拝 マタイによる福音書25章14-18節  「プラスに考える」

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本校では週3日、全校生とが集まって礼拝の時間をもっています。
本日は礼拝で話された内容を紹介します。

 

マタイによる福音書25章14-18節  「プラスに考える」
学院宗教主事 樋口進

皆さんが学校の帰りに財布を見て、五百円入っていたとします。
するとどう思うでしょうか。
ある人は、「あっ、五百円もあったのか。そしたらこれを有効に使おう」と考えて、何に使うかあれこれ考える人もいるでしょう。こういう人はプラスに考える人でしょう。
また、ある人は、「なんだ、五百円しかないのか。これでは何も出来ないわ」と言って、何もせずに家に帰る人もいるかも知れません。こういう人は、マイナスに考える人でしょう。
同じ事態に直面しても、それをプラスに考える人と、マイナスに考える人がいます。
そして、プラスに考える方が、より豊かな人生を送れると思います。

田原米子さんという人は、非常に数奇な運命を歩んだ方です。彼女は、16歳の時、非常に慕っていた母を脳溢血で亡くしました。非常に慕っていた母を突然失ってしまったことで、彼女は絶望的になり、人生に希望を見いだせず、ついに鉄道自殺を図りました。
人間は、長い人生の中で、絶望的になることもあります。そして、いっそのこと死んでしまいたいと思うこともあります。彼女は、東京・新宿駅で、ホームに入ってくる電車に身を投げたのです。
一命は取り留めたものの、両足と左の腕を切断しなければなりませんでした。彼女が病院で気付いた時には、右手に巻かれた包帯の先から、わずかに残った3本の指だけだったのです。
これを知った彼女は、「たった3本の指で何が出来るのか」という思いで、再び絶望状況に陥り、死ぬことばかりを考えていた、と言うことです。
しかしその後、熱心に病院にお見舞いに来てくれる宣教師とクリスチャンの青年から聖書の話を聞き、キリスト教に触れ、神の愛を知るようになりました。
そして、今までは、「自分にはたった3本の指しかない」とマイナスに捉えていましたが、「神は自分に3本の指を残してくれた」とプラスに捉えるようになったのです。
そして、神が自分に指を3本も残して下さった、この指で自分に出来ることをしよう、と思うようになったというのです。
そして田原米子さんは、それから病院に見舞いに来てくれていたクリスチャンの青年と結婚し、たった3本の指を一生懸命訓練して料理も上手にするようになりました。その後二人の女の子も与えられ、3本の指で子育ても立派にされたのです。そして、自分の体験を積極的に多くの人に講演して、特に障害のある人たちに多くの希望と力を与える活動もしてきました。
「3本の指しかない」とマイナスに捉えていた時は、死ぬことだけしか考えていなかったと言います。しかし、「神様が3本も指を残してくれた」とプラスに捉えるようになってからは、実に積極的な生き方に代わり、多くの人に希望と力を与える人生になったのです。
「3本しかない」とマイナスに捉えるのと「3本もある」とプラスに捉えるのでは、人生が大きく違ってくるのです。

先ほど読んだ聖書の箇所は、イエスが話された「タラントンのたとえ」という話の一部です。タラントンというのは、能力のことです。
そして、この譬えでは、3人の人がそれぞれ5タラントン2タラントン1タラントンを預けられた、と言われていますが、これは与えられた能力には差があるというのでなく、それぞれにはそれぞれ違った能力が与えられている、と言うことではないかと思います。
それを能力の差と捉えるならば、多く与えられていると思う人は優越感を抱き傲慢になります。
また、少ししか与えられていないと思う人は、劣等感に陥り、せっかく与えられたタレントを見失ってしまいます。それが、今日の譬えの1タラントンを預けられた人です。
1タラントンを預けられた人は、他の二人と比較して、自分には1タラントンしか与えられていないとマイナスに考え、それを活用せずに隠してしまった、と言うのです。しかし、1タラントンというのは、実は莫大なものなのです。本当は、1タラントンも与えられたのだ、とプラスに考えていい額なのです。

田原米子さんは、3本の指しか残されなかったのです。しかし彼女は、「3本の指しか」と捉えないで、3本も指があることは神の恵みだとプラスに捉えたのです。そして、3本の指を土の中に隠すのではなく、それを十分に用いて、素晴らしいことを行ったのです。
他の人と比較をするところからは、そのような積極的な行動は出てきません。そうではなく、神から自分に与えられている恵みに目を向けるのです。そうするとそれをプラスに捉えることができると思います。そうすると、素晴らしい人生が歩めると思います。