全校礼拝 「言葉の大切さ」 Ⅰペトロの手紙1章22-25節

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2018年11月2日(金)の全校礼拝にて、宗教主事の樋口学院長が、
Ⅰペトロの手紙1章22-25節 「言葉の大切さ」と題して、お話をしてくださいました。

 私たちは往々にして、人の言葉によって失望したり、傷ついたりします。そういう意味では、言葉というのは非常に大事です。たった一言の言葉によってひどく傷つき、ある場合は絶望状況に陥ることもあります。また逆に、たった一言の言葉によって癒されることもあります。

 斉藤茂太という人の本に『いい言葉は、いい人生をつくる』というのがあります。この斉藤茂太は、歌人の斎藤茂吉の長男で、精神科の医師であり、また執筆活動もしている方です。最近の本では『いい人生は「ありがとう」がつくる』というのもあります。

 さて、この『いい言葉は、いい人生をつくる』において、彼はことばについていろいろ洞察していますが、文字通り、いい言葉がいい人生をつくることを主張しています。彼は、人から聞いたいい言葉、あるいは本から得たいい言葉によって力や希望が与えられた経験から、人にもいい言葉をかけるように心がけている、と言います。

 たった一言の言葉によって、大きな希望や力を与えられる、と言うこともあります。また逆に、たった一言の言葉によって、力や希望を失うこともあります。言葉には、そのような力があります。逆に、たった一言の言葉によって、窮地を救われることもあります。絶望状況の中にある人が、優しい言葉に触れて力を得、また希望を与えられるということもあります。

 私自身も、人の言葉によって非常に落ち込んだ経験があります。おそらく皆さんも多かれ少なかれ、そのような経験があるのではないでしょうか。また、逆に自分の言葉が人を傷つけているという場合もあるかもしれません。そのように、言葉というのは非常に大切であると思います。ですから、できるだけ人を傷つけない言葉を発したいと思います。また、できるだけ人に希望を与えるような言葉を発したいと思います。

 聖書においては、言葉に関することが多く言われています。そもそも聖書は、神の言葉とされており、これを読むことによって慰めや希望や救いを与えられます。

 旧約聖書に箴言というのがあります。これは、古代イスラエルのことわざを集めたものです。この箴言の中に言葉に関するものが多くあります。例えば、「軽率な一言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す。」というのがあります。これは、たった一言の軽率な言葉は人を深く傷つけるが、配慮のある言葉は、逆にたった一言の言葉によって人を癒す、ということが主張されています。昔も今も、人の言葉によって傷つけられたり、また反対に力づけられたりということがあります。

 軽口ということがありますが、無責任に調子のいいことを言う人は信用されません。最近ではSNSへ軽い気持ちで書き込んだことが、相手をひどく傷つけると言うこともあります。また、先ほど読んでいただいたⅠペトロの手紙1章24節~25節には、

「人は皆、草のようで、/その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、/花は散る。
しかし、主の言葉は永遠に変わることがない。」 とあります。

これは、人間の言葉は、「草が枯れ、花が散る」ように、はかないけれども、神の言葉は永遠に変わることがない、ということです。

 聖書のことばから、大きな希望や力を与えられたという人も大勢います。是非皆さんも、何か苦しいこと、悲しいこと、迷っている時などに、聖書を開いて読んでみて下さい。あるいは、大きな力が与えられるかも知れません。そして、私たちも言葉には責任を持つようにしたいものです。斉藤茂太さんが言ったように、「いい言葉は、いい人生をつくる」ということは、本当です。わたしたちも、極力いい言葉を語り、いい言葉を聞くことによって、いい人生を歩みたいと思います。