全校礼拝 「よい人間関係」 ローマの信徒への手紙12章9-15節

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2019年2月15日(金)の全校礼拝にて、宗教主事の樋口学院長が、
ローマの信徒への手紙12章9~15節 「よい人間関係」 と題して、お話をしてくださいました。

私たちは、よい人間関係を結びたいと思います。そのためにはどうしたらいいのでしょうか。その時に大切なのは、自分中心ではなく、相手のことを思うということです。

ローマの信徒への手紙を書いたパウロという人も、常によい人間関係を築くために努力した人だと思います。その総括のようなことが、今日の所に書かれています。

今日読んだことをすべて行うことは難しいかもしれませんが、この中の一つでも二つでも行うことができれば、人間関係も少しはよくなると思います。

このローマの信徒への手紙は、パウロがローマの教会に集まっている人々に書いた手紙ですが、教会に集まっている人もいろいろあって、人間関係にいろいろな問題も起こったようです。全部についてお話しする時間がないので、そのうちのいくつかを取り上げてお話しします。そこで、パウロが勧めた生き方が今日読んだものです。

9節~10節には、
「愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れず、兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」
とあります。私たちがよい人間関係を結ぶとき、基本となるのは愛だと思います。

そこでパウロは、まず最初に「愛」を勧めます。この愛は、聖書においても最も中心的なものです。パウロは、この世で生活するに当たってのいろいろな勧めをなしますが、その根本に愛がなければ、一切は無益だ、ということで愛から語り始めていると思います。

15節には、
「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」
とあります。

泣く者と共に泣くということは、比較的やさしいかも知れません。不幸にあった人に同情することは比較的できるのではないでしょうか。

しかし、喜ぶ者と共に喜ぶ、というのは、そう容易ではありません。人間は自己中心的であり、他人の幸福をそう素直に喜べないのです。人間には嫉妬心があるからです。これができるならば、本当の友達と言うことができると思います。

例え他人の幸福を素直に喜べない人でも、同じ家族の者の幸福は喜ぶのではないでしょうか。親は、子供の幸福を無条件で喜びます。子供の幸福に嫉妬する親はあまりいないと思います。

次に18節には、
「できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。」
とあります。

人と平和に暮らすということも大切なことです。人と平和に暮らすには、ある程度自分を押さえなければなりません。お互いに自我を押し通すところからは、平和は生まれません。これにはやはり、愛と忍耐が必要でしょう。

次に19節には、
「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。」
とあります。

人間は、「喜ぶ者と共に喜ぶ」ということが中々出来ませんが、それどころか、人への憎しみを持ちやすい者です。人の過ちを中々ゆるすことが出来ず、報復をします。

人間の歴史は、報復の歴史だ、といってもいい位、報復が繰り返されています。そしてしばしば、この報復ということが美化され、また美化とまではいかなくても、当然の権利である、と思われています。

日本の昔の話にも、「仇討ち」の話がよくありますが、忠臣蔵などに代表されるように、仇討ちということが美化されていました。これは何も日本だけでなく、世界中に似たような話が沢山あります。ということは、人間とはいかにゆるせないか、報復せずにおれない存在か、ということを示しているように思えます。

現在においても、テロ事件が起こると被害に遭った方は、報復します。そうすると、報復された者は、その報復としてまたテロ事件を起こします。このように報復の連鎖となって、留まる所を知りません。

イエスは、「右の頬を打たれたなら、打ち返すのでなく、左のほおも向けなさい」と言われました。これが、報復の連鎖を止める唯一の方法だと思いますが、なかなか難しいことも確かです。

ここでパウロが勧めている生き方を少しでも実行することができれば、よい人間関係を築くことができると思います。